豊永清政のブログ

ツイッターで呟いたことをまとめていきたいと思っております。

日本学術会議は日本政府から独立した組織なのでは無い!

閣議決定の効力は、原則としてその後の内閣にも及ぶというのが従来からの取扱いとなっているが、憲法及び法律の範囲内において、新たな閣議決定により前の閣議決定に必要な変更等を行うことは可能である。

内閣衆質一八三第一二五号   平成二十五年七月二日 

内閣総理大臣 安倍晋三

 

国会答弁は政府がした後に閣議決定して効力が生まれている。なので閣議決定の効力=国会答弁の効力となる。 その上で安倍総理が効力は憲法および法律の範囲内で変更と言っている。つまり国会答弁よりも法律の方が上で渡辺輝人弁護士が1983(昭和58)年の国会答弁を取り上げていたが1984年には日本学術会議法が改正されて会員の選出方法が公選制から推薦制へ変更された。さらに2001年には中央省庁等改革基本法施行に伴い、総務大臣所轄へ移されてもいる。1983年の国会答弁は大きな法改正前の日本学術会議についての政府の見解であり法改正後の政府見解を保障するものにはならない、法改正が行われた以上は法改正前の国会答弁の効力は怪しい

 

また、日本学術会議法の第3条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。の『独立して左の職務を行う』は官公庁から独立して官公庁の所管の元で業務を行うとしか読み取れない。上で取り上げたように『2001年には中央省庁等改革基本法施行に伴い、総務大臣所轄へ移された』のだから『独立して』は2001年~2005年までは総務省から独立してだったことになる。

 

日本学術会議独立行政法人なのか?

 

答えは独立行政法人では無い!と言わざる負えない、何故ならば独立行政法人は官公庁から独立しているが日本学術会議官公庁の所管として管理されている組織だからである。

 

独立行政法人法では『国が自ら主体となって直接に実施する必要のない』業務をしていると書かれている。つまり独立行政法人の独立とは主体が国で無くなっただけで国の監督と介入をうけないことを約束された存在では無い

 

これで分かる通り日本学術会議法の言うところの独立とは主体が所管官公庁では無いという意味であって政府の監督と介入を受け付けない絶対不可侵な存在だと言う意味では無い

 

内閣総理大臣日本学術会議に監督及び介入出来る

 

日本国憲法によって保障されている権利

 

根拠

 

第五章内閣第六十五条【行政権と内閣】行政権は、内閣に属する。

 

七十二条【内閣総理大臣の職務】内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

 

ここに書かれている通りなのである。日本学術会議法の独立は所管の内閣府からの独立であって日本政府の長である首相から独立していると書かれている訳では無い、内閣府内閣総理大臣を補佐する組織であって内閣府のトップだから内閣総理大臣という訳では無い!(ここ重要)

 

内閣総理大臣は日本国の行政の長であり、各大臣を任命する権限を与えられている。そして統帥権を持つ日本のナンバー2である。つもり首相の命令から一行政機関である日本学術会議が独立するなどということは絶対にあってはいけない

日本学術会議を巡る問題を考察すると共に松宮考明教授の主張に反対してみた。

日本学術会議を巡る問題に関わると思われる個所を抜き出してみた。

 

日本学術会議

 

第一章 設立及び目的第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。

日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。

日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。

 (平一一法一〇二・平一六法二九・一部改正)

 

第六条の二 日本学術会議は、第三条第二号の職務を達成するため、学術に関する国際団体に加入することができる。

2 前項の規定により学術に関する国際団体に加入する場合において、政府が新たに義務を負担することとなるときは、あらかじめ内閣総理大臣の承認を経るものとする。

(昭三一法二一・追加、平一一法一〇二・平一六法二九・一部改正)

三章 組織

第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。

2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

 

7 会員には、別に定める手当を支給する。

(昭二四法二五二・昭二五法四・昭五八法六五・平一六法二九・一部改正)

 
第四章 会員の推薦 (昭五八法六五・全改)
 
第十七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
(昭五八法六五・平一六法二九・一部改正)

 

第六章 雑則 (昭五八法六五・旧第七章繰上)

第二十六条 内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる。

(昭五八法六五・全改、平一六法二九・一部改正)

 附 則

第六条 新会員は、新法第七条第二項の規定にかかわらず、前条第一項の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

 

沿革

1949年、内閣総理大臣所轄の下、独立して職務を行う機関として日本学術会議が設立される。

1956年、 日本学士院が独立する。科学技術庁が設置される。

1984年、日本学術会議法が改正されて会員の選出方法が公選制から推薦制へ変更された。

2001年、中央省庁等改革基本法施行に伴い、総務大臣所轄へ 内閣府設置法に基づき、総合科学技術会議設置

2005年、日本学術会議は、再び内閣総理大臣所轄日本学術会議法一部改正会員の選出方法を、日本学術会議自体が選考する方法に変更

2014年、内閣府設置法の一部改正により、総合科学技術会議は総合科学技術・イノベーション会議

 

以下日本学術会議の公式見解を抜粋

 

・戦後まもなく創立された日本学術会議は今年で70周年を迎えました。現在、約87万人の我が国の研究者の内外に対する代表機関




日本学術会議日本学術会議法によって、内閣総理大臣の所轄機関であり経費は国庫負担とされる。(2001年1月から2005年3月までは総務大臣の所轄機関だった。)

・その一方で独立して職務を行うことが保障され、政府は諮問をすることができ、また政府に勧告することもできることになっている。日本学術会議の意見を政府が尊重することは望ましいが、政府を拘束するものではない。

 

 私の考え

 

立命館大法科大学院の松宮考明教授の主張には大きな問題がある。

 日本学術会議法は何度も改正されており、会員の選出方法は公選制から推薦制に変更されている。所管する組織も内閣府から総務省へと変更されたことがあった。

 同法は何度も変更が加えられており日本学術会議が政府から独立しているとはいっても政府管理下の組織にしか過ぎないことは明白である。

 日本学術会議法には日本学術会議が日本政府から独立した法人であるとは明記されていない。

 よって日本学術会議に対して内閣総理大臣は人事権を持っていると考える方が妥当である。過去の答弁での政府見解は全く有効では無い、何故ならば答弁後にも法改正が実施されているためである。そのため日本学術会議法に基づく政府の見解は過去の見解と異なっていても何ら問題は無いと考えている。

 

  憲法における『学問の自由』を侵害しているという意見についても否定するのは簡単である。そもそも科学技術会議などの他の組織では内閣総理大臣が議長を務めるなど既に政府の影響下での学問研究に関しては政府介入が行われており、これらが正当である以上日本学術会議への政府の介入も正当と考えるのが妥当である。

 

 また仮に学問の自由を侵しており違憲の場合は『第九十八条【憲法最高法規性、条約・国際法規の遵守】1この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。』により日本学術会議法自体が無効となり、日本学術会議自体が存在したことが違憲となる可能性がある。

 

しかし、学問の自由が侵されていても問題無いという方が正しいと言えるのではないだろうかとも私は考えている。というのも日本学術会議の人件費及び諸経費は全て政府負担である。つまり日本学術会議の会員は一般国民では無く公務員または準公務員であると考えれば憲法上で保障されている権利の一部は制限されているとも考えられるからである。

 

松宮考明教授の主張は政府が学者の研究に干渉するな!に尽きると思われるが政府の干渉が嫌なのであれば政府の干渉が及ばない場所で学問を研究して発表すれば良いことなので政府の予算が降りる機関で学問を研究する必要は無い、故に政府による日本学術会議への人事権行使は正当だと私は思っている。

社会学者津田正太郎は銀河英雄伝説を理解していない!銀河英雄伝説は女性蔑視の作品では無い!!

法政大学教授で社会学者の津田正太郎と言う人がツイッター上で銀河英雄伝説という作品を『時代にそぐわない』部分があるから社会の価値観に合わせて変えていくべきだと主張した。彼の言う『時代にそぐわない』部分というのは『銀河英雄伝説ジェンダーに対する差別があり、男女分業を称賛する描写があり、女性蔑視を風潮していてタバコ描写が存在した』であるとツイート上で述べていた。

 

これが表現規制を要求していることだと受け取られて騒動になった。しかし、私は表現規制云々以前に津田正太郎氏の主張には最初から大きな問題があったと考えている。大きな問題というのは銀河英雄伝説には津田正太郎氏が主張するようなジェンダーを巡る問題、男女分業、女性蔑視、タバコ描写があったかのような主張自体が間違いだということだ。そのことが銀河英雄伝説そのものに対して存在しない罪での告発となり、それが風評被害を生んでいると思うのである。それが私の考える大きな問題である。

 

 そもそも、ヤン・ウェンリーの妻フレデリカは軍人でヤンの副官、階級は少佐ということでエリートコースにいる人物である。男尊女卑の世界ならば女性が大学に行けるはずは無いし、少佐まで出世出来るとは思えない。旧アニメでは全110話の半分に当たる55話で両者は結婚している。ヤンの妻フレデリカは結婚後も引き続き副官の地位に留まり軍人として働いている。今風にいけば共働きのエリート夫婦と言える。旧アニメは1988年に世に出たが当時はまだ女性が結婚後も働ける環境作りには積極的では無かった時代なので当時として革新的だったと断言しても決して可笑しく無いだろうと思う、ということは即ち女性蔑視は銀河英雄伝説には無かったと断言できる。

 

津田正太郎氏はタバコ描写の話を銀河英雄伝説のツイート上でしているが銀河英雄伝説には喫煙描写が存在しない、当時1980年代は喫煙率が60%を超えていたにも関わらずである。これも同作品の先進性を表していると私は思う

 

ジェンダー問題に関して言えば銀河英雄伝説女性も男性と同じ職業に就けたし、同じ制服を着ていた。これは今でも男女分けて制服を着るのとは違い随分先進的である。

 

よって津田正太郎氏の主張は完全に間違いだと私は思っています。また原作者が「時代にそぐわない」と言ったのはヤンの妻であるフレデリカに対して「変更をしたい」と言ったのではなく、ヤン自身の態度に対してのみでした。これは同作品が最後にヤン・ウェンリーが負けて帝国側が勝利することに対しての回答とも私は思います。原作者はヤンのフレデリカへの態度を指摘している部分でヤンが軍人としてでは無く政治家として祖国の為に立ち上がらなかった理由を述べています。つまり原作者の意図としてはフレデリカへのヤンの態度はヤンが完璧人間では無く実は欠陥があったのだと指摘しているとも読み取れるのです。ですので津田正太郎氏の言うような意味でヤン・ウェンリーを批判したのでは無く、あくまで作中におけるヤン・ウェンリーの問題点を語っていたにしか過ぎないと私は考えております。

 

銀河英雄伝説という作品は中世風の世界観を持ちながらSF的な要素で物語が進むという独特の作品です。この作品内での古臭い部分は原作者による意図的な演出とも言えますので古臭い部分をアップデートしてしまう行為は銀河英雄伝説という作品そのものを否定することと同じことだと思います。古臭い部分を無くす必要は無い、古臭い部分こそが銀河英雄伝説の魅力です。

 

この作品を題材にしてポリコレを語る行為そのものが同作品を意図的に問題がある作品だと人々に誤解を与えかねない行為です。ですから私は強く否定したいのです。この作品にはジェンダー問題、女性蔑視、タバコ描写、男女分業などという事実は存在しないということをです。

 

津田正太郎氏及び社会学者の方々には銀河英雄伝説が当時の社会の状況に対して先進的な部分が豊富にあったという事実の方に目を向けて頂きたい、そしてアニメ・漫画・ゲーム・小説などが社会に対して悪い部分をアップデートするように呼び掛けてきた歴史に目を向けて欲しいと私は思います。